「バランスがいい」
って何だろう?
仕事柄、お客様と会話をしていると「バランスが良い」という言葉が度々出て来ます。
そもそもバランスって何だろう?
バランスが良いって何だろう?
そんな思いに駆られる方も少なくないと思います。
バランスが良いと一口に言っても、何のバランスが良いのか?
そもそもバランスが良いとする定義って何だろう?
人が"バランスが整っている"と感じる時、多くの人の目には一種の「黄金比」として視覚的な枠にはまります。
その黄金比は大抵のものに一致するもので、縦横比だったり、色の重なり合いだったり、何かしらの形で視覚的に訴えて来るものです。
この黄金比、有名な所ではレオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」にも適合すると言われていますが、そもそも黄金比と言うからにはロジックに従ったある種の計算比が算出されている訳ですが、遡れば、それらは古代建築や美術など多くの物に適合しています。
その黄金比とは1:1.168と言う近似値で算出されています。
解りやすくすると
5:8
の割合で物の造形を成しているものに感じられる比率です。
あのアップルのロゴマークもこの比率によって作られている為、ロゴに親近感を感じるのもこの比率の為かも知れません。
人は脳で計算する事無く「イヤでも気になってしまう」のが、この比率なんですね。
デザインを中心に行う仕事に於いて、これらの比率は多くに活かされています。
勿論、WEBデザインにも応用されており、皆さんが見るPC画面やスマートフォン画面の中にも、同様に見易さを感じるものが在るとしたら、この比率に同調しているかも知れません。
しかし、この黄金比は所謂造形物で起こり得るもの。
例えばスタイルの良い女性がいたとして、その女性のヌードの写真には美しさを感じるのに、衣類を身に着けた途端、それが別のものに見えてしまうとします。
この場合、身に着けた衣類が女性の身体に恵まれた黄金比を覆い、全く異なる黄金比に見えるとしましょう。
すると、どこか素直に美しさを感じる事が出来ないのは、服装の色であったり、形であったり、身に着ける物の比率が変わってしまう事で、人の目には数パーセント減算されて目に映る事になります。
要は「素敵」とか「綺麗」とか「カッコいい」と思える物には「バランス=比率」が重要だと言う事です。
一枚の美味しいピッツァが在るとしましょう。
「見るからに美味しそう」と思えるピッツァには、きっと具材がバランスよく配置され、彩りも綺麗に映っているでしょう。
口に入れて美味しいかどうかは好みの問題。
しかし食事にも、人が無意識に黄金比を以て見ている事が分かります。
一枚の写真を撮影したとします。
その写真が綺麗に見えるかどうか、美しい、素敵、と思う写真には、前述までの黄金比とは異なる比率が在るのですが、これはまた次回に振るとして、写真一枚の中にも色の数や、対象物の大きさの違いなど、様々なところに、人は"一瞬にして"目を向けています。
鼻や耳、舌と違い、より詳細に、より瞬間的に、物を判断する事が出来るのが「目」です。
かつて、一種の障害を抱えた男の子が「計算」だけを素早く、それも何桁もの数字を処理する能力に長けていました。
この男の子は、数字を「目」で見て「映像」に変え、それらを脳の奥にある答えに結び付ける事をしていました。
つまり計算をするのではなく、映像と答えを直結しているだけなのですが(勿論一般の人には困難)、目と脳の近い関係性を、より活かして使っていた事になります。
こうした障害のある子供たちにとって、目の記憶力は非常に高く、例えばヘリコプターで東京を周回し、その時の映像を寸分たがわず絵に描く事が出来る子もいました。
「目」つまり視覚的効果は、人にとって非常に大きな影響を持っており、まるでコンピューターの様に多くの物を解析する事が出来るもの。
こうして黄金比は古くから、意図的ではなく、無意識に人の脳に働きかけ、美しさを感じるセンサーとして働いていました。
しかし、中には「目」による能力に長けていない人、或いは他のチカラによって補ったり、他の器官に優れている人もいます。
現代人は一日が短く感じてしまうほど、常に多くの事、物に急かされ、目を有意義に使えていない事が一つの起因では無いかと私は考えるのですが、実はこれらを研ぎ澄ませる為の一つの方法が在ります。
それは
「常に素晴らしい物を見る事」
です。
魅力的、或いは有名、高名なアーキテクチャー(建築物)を見たり、美術品を見たり、日常生活の中には無いような様々な物を、視界に入れ、またそれらに触れる事によって、目は自ずと黄金比を認知し始めます。
洋服も同じです。
想像を超える様な高い品質に触れたり、日常では袖を通す事が限られてしまう様な物を試してみたり、常に高い基準を持ち続ける事によって、それらは自ずと「経験値」を育みます。
毎日を贅沢に過ごすと言うことではなく、可能な限り多くの物に(例え入手出来なくとも)触れたり、目にしたりすることは、目からの情報に加え、体感(触感)によって更に確固なものに変わって行きます。
私がこの業界に足を踏み入れ、彼是三十年弱になりますが、この間、常に多くの物(それらが数千万円規模の宝石だったり、数百万規模の洋服だったり)を見て、触れて、その目と手で確かめて来ました。
建築物や美術品も同じく足を運び、出来る限り多くの物を目に入れて来ました。
食事も可能な限り、機会にありつける様に過ごして来ています。
常に手元に置けなくても、多くの物を見て、触れて、確かめる事は、多くを判断する材料となり経験値となります。
世の中の造形物に於ける黄金比は変わる事が在りませんが、人の目に映る黄金比は養う事が出来ます。
やがて黄金比=バランスを見出す事が出来、そこには無意識な「バランス」が培われて行くのです。
「あの人は御洒落」とか「あの人はスタイルが良い」など、人が目を伝ってバランスを感じるもの、或いは人には、もしかしたら人知れず努力が在り、そこには先述の様なバランス感覚を養って来たものかも知れません。
御洒落はバランス、そして色も形も、ある程度のセオリーの中に収まるものが、一番魅力的に映るものです。
御洒落はロジックではなく、感覚(センス)が活かされるものですが、感覚=目は養う事が出来ます。
人は目に映るものが全てと認識します。
ファーストインプレッションで好印象を残す人には、必ずバランスの良い服装、無駄の無い服装が纏われています。
美しい物ばかりを見続ければ人は美しさを更に貪欲に求めます。
その逆を見続けると、うんざりするようなネガティブが占拠するでしょう。
精神衛生にとっても美しいと感じる事は大切ですね。
身動きがし辛い環境の人、忙しい人、人には時間が確保できない人もいるでしょう。
そんな時は、造形物、建築物、美術品の写真を眺めたり、雑誌を眺めて見たり、毎日の中で出来る事から始めて見ても良いですね。
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